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20世紀は人間の歴史上最も殺人の少ない世紀

私たちの知識も思慮も、本当に正しいものなのだろうか。

何十億年の進化の末に人間はいる。

人間が進化の頂点なんて思い上がった事は言わないが、それでも進化の過程を経てきた事は間違いない。

人間の心の中に刻み付けられている事も、人間の進化の過程のものである事は間違えないのだ。

大戦があっても死者数は少ない

20世紀は、2回の大戦があり、日本には核兵器まで使われている。

この事実から言って、20世紀は人類史上最悪な殺人の世紀だろうって勝手に考えていた。

ところが、先日見たNHKの番組で、アメリカの教授が話している統計によると、20世紀は人類史上最も殺人が多い世紀ではないという。

ジェノサイドもあって、核兵器は一瞬で10万人以上の人を死に至らしめたし、ユダヤ人も大虐殺された。

カンボジアでもジェノサイドは続いたが、それでも人類史上では少ないのだとういう。

なぜかというと、他の場所で、もっと小刻みに絶え間無く大量虐殺が続いていて、その累積数は、20世紀の比ではないのだそうだ。

私の常識は、脆くも崩れ去った。

「まじかー」これが最初の感想。

大国が自国の多くの人間を徴用し、死に至らしめていることが、人類史上類を見ない殺人だと思っていた。

しかし、大国がいかに大規模戦争をしたとしても、無政府状態の少数民族同士の虐殺よりもまだ殺人数が少ないのだそうだ。

19世紀から20世紀にかけて進歩した中央集権の政府は、少なくても殺人という面で考えれば、人間が進歩している証といえるようだ。

人間を善なるものと考えてはいけない

私たちはとかく自分自身の内側を覗くときにも、性善説を前提にしていないだろうか。

しかし、それは本当か?

疑問がある。

チンパンジー同士でも殺しあうという。

ジャッカルも、ハイエナも、同種どうしで殺しあうそうだ。

人間は善なるもので、自分の中にそれとは違う感情があるから自分はダメな人間だ、他の人より劣っていると考える。

だから、その悪魔のごとき心の中身を覗いては自分に落胆し、その心を打破すべく、修行僧の様に振る舞う。

自分を戒め、自分を何度も覗き見て、どうしてその感情が湧いてくるのかを苦悶の末に見いだす。

しかし、どうだろう、人間の本性は本当に善なるものだろうか。

悪魔のごとき心の中身こそが通常の人間の本性なのではなかろうか。

そうなると、自分だけが外れた人間で、自分だけがダメな人間と思うことはない。

それどころか、自分のその醜い心こそが、人間の核たる部分ではないだろうか。

悪なる人間として善に生きると言うこと

人間は悪なるもので、堕落な悪魔のごとき存在だとする。

だから、怠惰に暮らすことも、自己中心的に暮らすことも人間の生まれ持った性質そのもの。

何ら卑下されるものではない。

何かの正義感に駆られて出来ないことがあるって事は、それは悪なる人間が、善なる人間を目指して足掻いている姿そのものかもしれない。

だから悔いる事は無いように思う。

すこし、戒めをかける位置がずれただけだ。

何一つ自分を責める事はない。

人間が善なる人間になるために進歩を模索した証なのだから。

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